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旧藏内邸

文書番号
文書番号

8_248

自治体名
自治体名

福岡県_築上町

名称

旧藏内邸

(キュウクラウチテイ)

解説
解説

国指定名勝・県指定建造物・国登録文化財\n 日本の近代産業を支えた筑豊の炭鉱。炭鉱主住宅は麻生本家、旧伊藤傳右衛門邸(飯塚市)、貝島嘉蔵邸(現福岡市)・旧貝島六太郎邸(宮若市)、旧安川敬一郎・松本健次郎邸(北九州市)、旧堀三太郎邸(直方市)、旧高取伊好邸(唐津市)などが現存している。旧藏内邸は大正8年には全国6位の産出高をほこった藏内次郎作、保房、次郎兵衛、蔵内本家三代の住宅で、明治30年代~大正時代に出身地の築上町上深野に建てられ、庭園とともに現在も当時の状態をよく残しており、近代和風建築、近代庭園として規模や内容とも極めて優れている。\n\n藏内家一族と炭鉱経営\n\n 藏内家は中世の豊前国を治めた宇都宮氏の家臣で、江戸時代は帰農し地元の資産家となりました。藏内次郎作は明治18年、いちはやく炭鉱に着手していた親戚の久良知重敏、政市親子を頼り、田川郡後藤寺「崩レ」の炭坑の採掘を始めました。その後峰地炭坑(添田町)、大峰炭坑(大任町・川崎町)、足立炭坑(北九州市小倉北区)、京殿坑(水巻町古賀)など規模を拡大していきました。大正4年、次郎作は小倉鉄道を添田まで開通させ、翌5年には藏内鉱業株式会社を設立し、保房が社長に就任し、大正8年には全国6位の産出高をあげるまで繁栄しました。\n\n大規模和風住宅\n\n 旧藏内邸は明治38年頃に主屋と応接間、庭園が造営され、その後大正5年から宝蔵、炊事場棟、座敷棟、大広間棟、茶室、大玄関棟の順に池庭に面して増築していき、同9年に完成しました。住宅の延床面積は約1,222㎡、敷地は約7,200㎡にも及び、隣接する貴船神社参道や石橋も同時に造られました。建物のなかでも18畳間が2室続く大広間や12畳の大玄関間は炭鉱主の住宅では最大です。柱材は台湾檜、弓形天井や格天井には屋久杉がふんだんに使われ、各部屋の繊細な細工が施された欄間は見事です。また照明、襖の引手など細部に至るまで手の込んだ細工が施され、仏間の壁紙には金唐革紙という西洋の装飾革工芸を和紙で摸した貴重な壁紙が使われています。大正期増築の棟梁は山田村四郎丸(豊前市)の中江九壽で、地方大工棟梁の高い技量がうかがえます。\n\n藏内家の功績と顕彰\n\n 藏内次郎作は明治41年より5期にわたり衆議院議員を務め、保房は田川中学(現田川高校)や築上中学(現青豊高校)の創設や地元の学校建設や公共事業に多大な寄付をしました。また次郎兵衛は昭和4年に大分市の髙﨑山7万坪を万寿寺に寄進し、後に炭坑労働者や先祖のために万寿寺別院を建てました。\n\n 保房は邸宅落成の大正10年に59歳で、次郎作は翌々年77歳で亡くなり、その後は長男の次郎兵衛社長と次男の正次を中心に経営しました。昭和14年、峰地と大峰炭坑を古河鉱業に売却して一旦会社を解散し、炭鉱経営からは手を引きました。その後は錫や亜鉛の尾平鉱山(大分県)を主力に大串金山(長崎県)など金属鉱業を中心に規模を拡大しましたが、昭和34年に尾平鉱山を閉山し、75年間にわたる藏内家の鉱業経営は幕を閉じました。\n\n さて旧藏内邸の西の丘陵には藏内家、久良知家の 墓所と、久良知重敏・藏内次郎作・久良知政市3人の銅像広場があります。銅像は第二次世界大戦時に金属供出され、現在は広場に細かな意匠が施された台座などが残っています。台座下の陶板画には炭坑や積出港の風景と坑道掘削に使用するカン テラとツルハシ、また出生地の上深野の農村風景と稲穂と鎌が描かれ、三人の炭坑への情熱と故郷への想いが伝わってきます。

施設名
施設名

旧藏内邸

カテゴリ
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建造物

制作年(西暦)
制作年(西暦)

1905

時代
時代

明治

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場所
場所

福岡県築上郡築上町大字上深野396番地

関連URL
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http://chikujo-rekishi.jp/guide-4/

問い合わせ先(担当部署)
問い合わせ先(担当部署)

生涯学習課

郵便番号
郵便番号

829-0115

住所
住所

福岡県築上郡築上町大字上深野396番地

電話番号
電話番号

0930-52-2530

窓口受付時間
窓口受付時間

9時30分 から 16時30分 まで(入場は16時まで)

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